2011年10月アーカイブ

 

 今さらですが、目標や希望を意味する『夢』と寝ているときに見る『夢』が同じ言葉なのはどうなのかと思う。もちろん、使い方、文脈から判断できるから誤解することはないのですが。

 眠っている時の夢は自分の無意識で作られるものであって、良いものも悪いものもある。将来の希望・目標を表す夢は自分の意識が作り出すものであって、当然それは良いものです。

 どちらも実現していないもの(実際には起こっていないこと)という意味では同じではあります。

 だから、間をとって発音そのままで漢字くらい変えてもいいんじゃないでしょうか。『夢』と言う字に偏を付け足すとか、別の偏に変えるとかどうだろう。

 たとえば目標や希望を意味する『夢』には『心』をあらわす『りっしんべん』とか『愛』みたいに真ん中に『心』をいれてみるとかどうでしょう。

 いや、逆に寝ているときの『夢』の横になっている『目』の部分を取っ払うとか・・・

 

 我ながらどうでもいいことを長々語ってるなぁと思えてきました。誰か他にこんなことを求めてる人いるのか。こんな文章読んでおもしろいかな。不安になってきたのでもうやめます。でもせっかく書いたのでアップはします。すいません。

 

夢の限界

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 午前2時過ぎ、眠れない。

 なぜなら、今日昼の2時まで寝てしまったからです。目覚めて12時間程しか経っていない。

 変な夢を見たんです。なかなか長編の。展開の多い長編ゆえに最後の方しか覚えていません。

 

 僕は体格の良い相手と公衆の面前で戦うことになっていました。理由はよくわからないけど、相手のことがにくいわけでもないみたいです。僕は相手に勝てる自信がなく、周囲に「絶対負ける、勝てる要素がない」みたいなことを淡々とした口調で言ってます。対戦することを嫌がってはいない。周りに見られて戦うことをどこか誇らしげに思っていたのかもしれません。

 そして12畳くらいの無機質に白い部屋に案内される。人の輪が四角くできていてそこで戦うらしい。ルールの説明はないけど、素手であればなんでもありという雰囲気。両者がそろっていざ試合開始というところで審判に止められる。どうやら何かのトラブルがあったらしい。

 どういうわけか部屋の壁はなくなっていて、外の景色が見える。床だけが宙に浮いたようになっていて景色の下のほうでトラブルの対処をしているらしい。

 さて、長い時間かかってトラブルは解消され、仕切りなおす。僕の緊張も高まってくる。

 今度こそ試合開始!

 

 というところで「これは夢だ。起きなきゃ」と気づいて目が覚めた。

 結局、僕は戦うのが怖くて本能が回避したのかもしれない。以前の夢でも死ぬ直前で、目が覚めるということがありました。いざ、というときにはだいたい目が覚める。

 もしくは、夢の中の想像力の範囲を超えてしまったのかな。これ以上、僕を信じ込ませるだけの説得力ある展開ができなかったとか。僕は人とまともに格闘したこともなければ、死んだこともないですからねえ。

 部屋でひとりぬるぬると過ごしています。ゆるゆるよりも少しぬめってる感じ。よくわからないが。

 ひとりでいると、ふと考え事にとらわれたりする。

 いい年になったけど僕は何をしてきたやろうか。積み重ねてきたつもりのものはよく見たらぜんぜん低いところにある。このペースじゃとても。

 まぁ、そんなもんかね。

 今まで努力らしいことをしたことがない。恥ずかしいことだと思う。

 気まぐれに考え事をしては、その考えをちょっとずつ積んでいって、いつのまにかぼんやりとした土台ができている感じ。

 ぼんやりしてるけどそれが磐石に思えることも結構あって、なんとなく自身を持って過ごせてる。

 何もしてないのに。

 何も成してないのに。

 

みかん狩り

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 井川みかん園でのオレンジフェスタが雨天の為、はかなくも中止になってしまいました。

 僕は中止と判断した主催者の方々をたたえたいと思います。お客さんのことを考えていると思うのです。代替でイベントをしたり、雨の中で強引に決行したのではイベントの核が崩れます。このイベントはみかん狩り料金イコール入場料です。雨天のためにみかん狩りが十分に楽しめない環境では元も子もありません。中止になったのは非常に残念ですが次に期待したいです。誘ってもらえたらですが。

 それはそうとして、気持ちを消化しきれない僕らは雨の中、弁当を持参して、井川みかん園でみかん狩りをしました。雨の落ち着いている隙を見てなんとかみかんを採りました。開園したばかりで熟しきっていないみかんがほとんどの中、限りなく緑色が少なくてオレンジ色の濃いみかんを探し出すのはゲーム感覚で面白い。そして採ったみかんはおいしい。まだ、酸味は強めでも風味も強くてみかんってこれだなぁとなんとなく思いました。

 他のお客さんがほとんどいなくて貸し切り状態だったので、贅沢な気分で楽しむことができました。自分たちだけ楽しんですみません。

和歌浦にて

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 和歌浦で人に教えてもらいながら、アジを大量(大漁?)に釣った後、bagusでお茶しました。

 砂浜のデッキチェアの背もたれに首を乗せて空を見ると、月を中心にして夜空が景色に丸く縁取られているようで魅力的でした。地表の丸さが実際とは逆に反り返っていて、月を中心点にした球体になってるような気がしました。

 科学が発展してない時代の人は見えたとおりに世界を認識してたんだろうなと思いを馳せました。月も太陽も実際にはすさまじく巨大だということを想像もしなかっただろうし、見かけの大きさが同じ月と太陽が本当は数百倍も大きさが違うなんて言っても信じられないに違いない。

 科学は進歩したんだなぁとつくづく思います。昔は神の領域だったものがいくらかは人間の領域になっている。コペルニクスの地動説もダーウィンの進化論もそれまであたりまえだった世界の常識をひっくりかえした。これからもそんなことがあるなら目の当たりにしたいものです。

 秋。いや、むしろ冬の風のにおいがして懐かしい気がしました。

 新しい季節の始まる感じというのは良い。それはだいたい嗅覚からくる。続いて、触覚(冷たい風の感じ)、視覚、聴覚。最後に味覚(旬の食物)という順番でしょうか。

 そんな季節は感傷的になり、本を読みたい気分が募ります。

 手に取ったのは筒井康隆の『最後の喫煙者』という全く感傷的でない短編集。その中の表題作。この作品は健康を害するという理由から、嫌煙権運動というのが活発になり喫煙者が差別され、迫害されていくという物語です。主人公の小説家は愛煙家で嫌煙権運動に抵抗を続け、日本最後の喫煙者となってしまいます。平成2年に発表された作品ですが、これがだんだん現実になりつつあるように思います。

 ヨーロッパやアメリカではタバコのパッケージに病気でやせ細った男性の顔、ぼろぼろになった歯、泣いている子供の顔などの写真の掲載が義務付けられているそうです。画像を見てみましたが悪趣味極まりない。法律で喫煙を認めているくせに罪悪感を煽っています。こんなことをするぐらいならタバコを違法にするか、めちゃくちゃ高い値段にするかしたほうがマシじゃないかと思うほどです。

 まあ、それは極端な例ですが、日本では受動喫煙防止条例で、公共施設の禁煙・分煙が進められたり、路上喫煙禁止区域が増えたり、タバコを吸える環境がみるみる減っていってます。

 僕はタバコを吸わない(ドラセナは全員吸わない)し、タバコは百害あって一利ぐらいしかないと思っていますが喫煙者の権利も認めていいんじゃないかなぁ。これ以上は規制強めなくても。

 

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